大師ゆかりの支院

 坂本には伝教大師ゆかりの生源寺や東南寺をはじめ、元三大師出家ご入山の際に休息された御遺跡である求法寺など延暦寺支院と呼ばれるお寺があります。

最澄の産湯に使われたという井戸が残る
~生源寺~

 生源寺には伝教大師・最澄が産まれたとき,産湯の水を汲んだという井戸があります。もともとこの場所には父・三津首百枝[みつのおびとももえ]の邸宅があり、最澄が比叡山を開山後、両親への報恩のために寺を創建したと伝わります。江戸時代には、西塔の総里坊として寺務一切を総括していたといいます。  現在では最澄生誕の地として、毎年8月18日には盛大な誕生会が行われています。また延暦寺の各種催事の多くもこちらで行われます。

最澄がはじめられた戸津説法が今も
~東南寺~

 東南寺は最澄による創建で、「三津首百枝(最澄父)の追福のため、湖西の民衆に仏種を植えんがため、山僧の学道を増進せんがため」最澄自ら山を下って『法華経』の教えを説くことを始めました。これを戸津(とづ)説法と呼びます。戦国時代までは、東南寺と生源寺、観福寺無漏堂の各寺で、各々10日間ずつあわせて三十講が行われており、古来より天台座主職への登竜門といわれています。毎年、東南寺にて、8月21日より5日間の日程で奉修されています。

伝説の木「橘」が伝える奇瑞
~弘法寺~(通常非公開)

 弘法寺は延暦寺中興の祖ともいわれる慈恵大師・良源の晩年隠居の里坊であったことが知られます。この寺には良源入寂のとき、紫雲が寺の上空を覆い、さらに庭の橘の木あたりまで低くたなびくという奇瑞があったと伝わり、古くより弘法寺では大玄関前庭に橘の霊木が植えられました。慈恵大師は、正月の三日に入滅されたことより、元三大師と呼ばれるようになりました。現在も毎年正月十八日に横川院内の僧侶と信者がここに集まり、元三大師の御遺徳を忍んでの報恩法要が行われます。  横川の総里坊として、横川を統括する別当代の役所となり、「横川別当代」とも呼ばれています。