庭園のある里坊

 里坊の庭園は日常生活の憩いの場として、飽きのこない庭づくりが行われたと推測されます。坂本には江戸から昭和の時代の特徴が顕著に現れる庭があり、現在も僧侶の家族が大切に維持されています。

灯籠の見立てが風情を深める池泉鑑賞式庭園
~壽量院~(通常非公開)

 純海大僧都(寛文4年・1664没)が創設したと伝えられます。幕末になり天台座主第二三四世覚宝[かくほう]大僧正が復興されました。覚宝師は筆まめな人で壽量院には多くの記録が残っています。それによると作庭の始まりは寛永6年(1853)のこと。中央に池を配したお庭は自然石の石組みを上手に活かした池泉鑑賞式庭園で、四季の植栽にも工夫があります。日記には、見立てに特徴のある4基の灯籠の火袋に、紙を張り明かりを灯されて、夜の風情も楽しまれ、句会などを行っていたと記しています。

築山に茅葺きの東屋のあるのびやかな流れの庭
~律院~(通常非公開)

 かつて松禅院と呼ばれていた当地は大正末期に民間の手に渡り荒廃していたのを、昭和24年(1949)戦後初の千日回峰行者、叡南祖賢[えなみそけん]師が再興しました。寺号は祖賢師が当時、安楽律院の管領を務めていたことに由来します。本堂は豊臣秀吉の側室・淀殿が、早世した鶴松の菩提を弔って建てたという桃山時代の建造物です。総欅[けやき]造りの護摩堂は平成5年(1993)に完成したものです。お庭の遣水は大宮川から、南庭の池に取水し、奥行きのある東庭へとそそぎこむ、流れの庭といわれます。

恵心僧都が描いた来迎図に見立てた枯山水庭園
~瑞応院~(通常非公開)

 昭和9年の大風水害のとき、権現川上流から流れてきた巨石を利用してなんとか庭園にしたいという願いを抱かれていた山田恵諦大僧正(瑞応院の先代)。昭和31年に重森三怜と出会ったことから長年の願いが叶います。大岩は穴太衆積みの粟田氏によって運ばれ、源信僧都が日相観により観得した「阿弥陀聖衆二十五菩薩来迎図」をテーマに三怜氏が作庭しました。焼討ち以降、比叡山から高野山に渡ってしまった来迎図がこの坂本の地に戻ってきた、と山田師は感慨深く感じられたということです。

現在の里坊の姿を垣間見る

 拝観できない里坊が多いなかで、滋賀院門跡のように通常公開(有料)の里坊や、慈眼堂などのように範囲を限って公開されている里坊もあります。また門は閉ざしていても中の建物やお庭を観察できるように配慮されている里坊もあります。

滋賀院門跡に通じるお庭を拝観
~慈眼堂~(お庭のみ公開)

 権現馬場に面した参道からも、滋賀院境内からも慈眼堂の前庭は通じています。杉苔の美しい前庭には石塔や供養塔、十三体石仏群などを見ることができます。

延命寺蔵尊を参拝できる
~理性院~(前庭公開)

 東塔東谷に属する里坊です。お地蔵さんに縁のある寺で、前庭には延命地蔵をお祀りしています。ご自由にお参りいただけます。

内仏殿をお庭から拝観
~行泉院~(庭~内仏殿まで公開)

 西塔北谷に属する里坊です。内仏殿には本尊の十一面観音と、通称「聖天さん」と呼ばれる大聖歓喜天を祀っています。開門時は門から庭に入ると奥には内仏殿があり、ご参拝ができます。

葵の御紋のある玄関
~恵光院~(通常非公開)

 東塔北谷に属する里坊です。本玄関や屋根瓦には徳川家の葵の御紋が刻まれ、他の里坊にはない風格があります。焼討ち後の復興時に江戸幕府の詰め所になっていたのではないかと推測されています。